2014年
9月
16日
火
以前に、文楽界も他流試合が必要だという趣旨の記事を書いたことがあるが、実際には、いろいろな取り組みを進めている人がいる。これ自体は喜ばしいことだ。
これは想像するに、文楽側からの働きかけではなく、お声掛けをいただいての参戦だと思うが、それでも良いのだと思う。
こういう他流試合も含めた「ネオ文楽」的な情報も含めてどこかのポータルで集約できればいいんだけれども。
一時期は、mixiの文楽コミュニティとかがそれになるかなとも思ったのだが、SNSのコミュニティはあくまでSNSのなかのオマケであって機能的にも限界があるように思っており、本格的なファンサイトがあってもよいのではないかと思う。
2014年
9月
07日
日
9月6日土曜日の日経夕刊の文化面で、文楽の記事が出た。
内容はというと、関西経済界が中心となり、今年4月に発足した芸術文化助成組織「アーツサポート関西」を通じて、大学生など420人を11月と1月の文楽劇場の公演に招く助成事業を始めるというもの。
実際は、関西の不動産管理業者が500万円を寄付し、そのうち半額が、鑑賞料金の補助に使われるようだ。ただで見れるのでは見る側の意識も落ちるので、1人500円は負担してもらおうということらしい。
「若い文楽ファン作りの呼び水になれば」などと記事にあるが、さてどうなることか。
悪い話ではないが、当サイトのような荒療治をやらないで、根本解決になるのだろうか、とは思う。
2014年
2月
02日
日
先週、文楽の初春公演を見てきた。
大阪に通い始めてもう5~6年になるかと思うが、土日ということもあり結構込んでいた。びっくりしたのが、客席最後列にパイプ椅子でびっしり増席していたこと。なんかいきなり団体客でも入ったんだろうかね?
あと、勘十郎氏らが、終演後に2階ロビーで客に挨拶(記念撮影もOK?)していたのが目立った。
勘十郎氏は、まちがいなく現在の文楽界でスターシステムを導入するならば、風貌・人格・実績・血筋のバランスからして1番に祭り上げられるべき人物であり、そういう人物が積極的にファンサービスに動き始めたことは、率直に評価してよいと思う。
あと、珍しく人形遣いの3人出遣いを見れた。楽器演奏する場合、左遣いも相当大変なはずで、吉田一輔氏の活躍を見れたのはよかった。
2013年
9月
30日
月
文楽業界はもっと他の業界との接点(相互に刺激を与え合う、伝統に固執しすぎず、新たな視点の導入)が必要だとこのサイトでは再三指摘しているが、国立劇場(芸文振)のサイトで、面白い試みを見つけた。
それは、文楽かんげき日誌と称する、各界のクリエーターに文楽を鑑賞してもらった感想をエッセイのように書いてもらうという試みである。
寄稿者の人選として、すべてがメジャーとは言い切れない面もあるし、全部は読んでいないのだが、目についたところとして、ラップアーティストのスチャダラパーのBose氏の寄稿がめちゃくちゃイケているので、ぜひ読んでいただきたい。
要約すると、
・演じる内容は違えど、現代音楽で舞台に立つ自分たちと、文楽の技芸員も同じような立場。「面白いかどうか」だ。
・日本橋のあたりに、現代における人形の代名詞とも言える、「美少女フィギア」を売っているようなお店がたくさん集まっているのも、なんかの因果だ。
・もし今、「魔法少女のフィギアをリアルに操って、壊滅に瀕した世界を救うみたいなストーリーを表現するような集団」が現れたら、それは何百年後かに、今の「文楽」みたいなものになっているのかも知れない。
やっぱり、感じる人には感じるんですよ。
個人的には、こういう寄稿をもっと発信できないのかなあ、って思うんですよ。芸文振サイトにとどめておくにはもったいない。こうしたクリエイター本人のブログとかでバシバシ発信してもらってはどうなのだろう?
2013年
9月
08日
日
昨日、東京公演の第2部のみを聴きに行った。
通し狂言ではあるが、第1部は席が取れなかった(人間国宝が多く出るからだろう)のと、嶋太夫師匠が第2部出演なのでまあよいと思ったためである。
だが、第2部についていえば、多少だが空席があった。第1部はどうだったのだろう。
また、三味線で新顔が舞台デビューしたようだ。プログラムをさかのぼって名前を確認したわけではないが、研修生出身の入門者の舞台デビューであるならば、素晴らしいことである。でも、三味線は早々と顔見世できるが、人形は10数年は頭巾生活。複雑だなあ。
そこも、文楽の課題の一つだと思う。大夫も三味線も、いまや頭数はそろっているのだ。問題は人形。数がそろわないと、演目に制約が出るし、2班編成で興行することも難しくなる。
何としても、人形の待遇向上が必要だろう。(早く左遣いに昇格させろ、ということではない)
平成25年4月に大阪の文楽公演を見に行った。当然のごとく入手する公演プログラム。
その中に、東京文化財研究所文化遺産部の飯島満氏の、「文楽協会の五十年と伝統芸の文楽の将来」という寄稿があった、明治期から昭和期への植村家から松竹、そして文楽協会への興行者の変遷の歴史が書いてあり、貴重な読みもの、といえた。時節柄、タイトルと、最初のページを読み始めた読者の多くが、昨年の橋下問題、すなわち補助金削減問題を意識しての寄稿であると感じたにちがいない。
しかし、4ページにわたる寄稿の結論は、少なくとも私の期待を大きく裏切るものであった。
その一部を引用しよう。
改めて共通認識を得ておきたいのは、もはや人形浄瑠璃文楽は「浪花の郷土芸術」ではないということである。大阪市や大阪府が、文楽協会を、ひいては文楽をどう取り扱おうとしているのかは、これからの文楽を考えて行く上では、おそらく本質的かつ最重要な問題ではない。文楽の将来(あるいは活殺)は、現代の日本で生活を営む我々が、伝統芸能としての文楽とどう向き合おうとしているのかにかかっているのではないだろうか。
ある意味、極めて当たり前なことを言っているわけだが、伝統芸能の専門家として、文楽の将来は、一般市民の考えに握られている、といって、文楽再生に向けた具体的な提言をせずにボールをこっちに投げてしまうのは、あまりに無責任すぎないだろうか。
(厳しい言い方をすると、市民が「文楽を要らない」といえば、支援を止めて滅んでもよいといっているようにも聞こえる)
そんな思いから、私は、文楽再生と題した、このサイトを作ることを決意したのである。
→当サイトのスタンスへ続く