暴論5 兼業禁止の公務員のように生きろ?

文楽と比べ、同じ伝統芸能であるはずの歌舞伎や能(狂言)の場合、テレビや映画俳優を掛け持ちしている人がごろごろいる。

 

これに対して文楽は、まったく聞かないよね…。文楽を題材にした映画ならともかく。

 

これには、文楽の特殊性も影響しているのだろうけれども、その気になればいろいろできるのではないかと思う。

 

ふと考え付くだけでも

 

・三味線で他ジャンルの曲を弾くライブ

・義太夫を離れた講談、朗読、演劇への参入

 

…残る人形遣いは、たしかに厳しいけれども、文楽以外の人形劇をやれないこともない。いや、そもそも人形遣いだって人間自身が演じるセリフつきの舞台演劇ができないわけじゃないのでは、とも思う。

 

なのに、技芸員たちが外に打って出ない(出られない)のはなぜか。

 

普通に考えると、

 

①時間がない(稽古時間が奪われる)

②師匠がうんと言わない

③本人にそういったことへの興味がない

④他流試合するのが億劫、怖い

 

あたりか。

 

三浦しをんの「仏果を得ず」では、主人公がいつも文楽のことばかり考えている「文楽バカ」として描写されているが、そういう人が①③④に該当しそうである。

 

でも、他流試合をすることで、他の文化と触れると、本業への刺激になることは間違いなかろう。

 

現在の人間国宝諸氏(三業それぞれ)も、若いころは様々な人と交流していた、と様々な取材で述懐している。単に飲み遊び歩いたという面もあるだろうが、他分野と交流して刺激を受けたということも間違いない。

 

要は、そうした他流試合を、それを芸能人同士の内々の交流で済ますか、外に向かってパフォーマンスする場で行うか、ということである。文楽の危機が叫ばれる今、ぜひ、「奇を衒って」と言われることを恐れず、ぜひ外に向かって活動をしていただきたい。

 

一方、生活が苦しい若手技芸員が家計をささえるためのアルバイトも、立派な課外活動、他流試合だと思う。ミュージシャンや漫画家、お笑い芸人などの卵と同じく、生活が苦しい中で、文楽技芸員の卵だけが、公務員のように職務専念(兼業禁止)でなければいけない、なんてことはないだろう。

 

生活が厳しい中で副業禁止まで言うなら、長良川鵜匠のように文楽継承者を国家公務員にするしかないが…。

 

むしろ、アルバイト先で、「来週ライブあるんで、来てもらえませんか」みたいな話をして集客を募るなど、ミュージシャン志望のバイトさんなら良くある話であり、文楽でもやればいいのだ。そのほうが、きっとすそ野は広がりやすいはずだ。

 

一人の出演時間なんて短いんだし、そういうときのために、大阪の幕見席ってあるんでしょ。