暴論10で書いた下中座の公演を見ていて、思い出したことがある。文楽三味線の鶴澤清志郎氏は長野県飯田市の出身だが、子どものころ、地元の人形芝居の一座で人形遣いを担当し、その後、人形遣いを目指して研修生になったのだ。しかし、三味線に目覚めて現在に至るという。
文楽協会も芸文振も重々承知のはずのこの話を、なぜ活かそうとしないのか、私は気になる。
よく、野球やサッカーなどの発展(国内リーグの充実や世界大会での活躍)のためには、小中学生の世代からの競技人口の増加、競技環境・機会の向上によるすそ野の拡大が必要である、などといわれる。文楽でも、本家大阪と地方の民俗芸能の交流・連携を強め、普及や人材育成に活用することはできるのではないか。現在のように、文楽は文楽、本家としてデンと構えるだけで、大人を劇場に来させるだけではダメだし、大阪・東京とわずかな地方公演で子どもに見せるというのでも不足だと思うのだ。
(本件は、技芸員の問題ではなく、事務方の問題だと思う)
鶴澤清志郎氏の場合は、本人の意識が高くラッキーだった例である。それに胡坐をかいてはいけない。そういうチャンスを、組織的、構造的に増やす必要があるということだ。
私自身、口ばっかりといわれないため、地方の民俗芸能については、情報収集し、機会があれば見に行くようにするとともに、今回リンク集を作ることにした。
地方の民俗芸能を見ている人が本家文楽を見に来る(「聴きに来る」といわねばダメだ、というのも、また敷居の高さのような気はする)、その逆もあり、違いを楽しめるようになってこそ、よき相乗効果といえるのではないだろうか。
なお、現在でも、技芸員とか裏方レベルでの人的交流があることは付言しておく。下中座によれば、髪結いの技術は、国立文楽劇場の指導を受けているとのことだし、神奈川県川崎市にある人形劇団ひとみ座というところは、珍しい一人遣いの人形を遣うが、桐竹勘十郎師の指導を定期的に受けているらしい。
念を押すと、私が言いたいのは、文楽協会や芸文振などの組織レベルで、本家文楽とその派生である地方民俗芸能の連携が必要だということだ。