暴論2 住大夫師の発言は本物か?

現代の文楽は、世の中の多くの人から関心を持たれるようなものではなく、それゆえに、公的な支援をゼロあるいは極小の状態で水準を維持していける「自立的な」文化であるとは、残念ながら言い難い。それが、昨今の補助金問題の原点にある。

 

ここで、そうした文楽の将来を考えるにあたっては、2つの選択肢が存在すると考えられる。

 

一つは、人気を得るために、時代に合った内容(見せ方)に変えるべきというもの

 

もう一つは、伝統を守ってナンボなので、そこは墨守しつつ、公的資金を入れるなどして文化の命脈を保つ、といったものである。

 

だが、そもそも文化とは、いってみれば人間が生きるのに最低限必要なもの以外のもの、つまり、衣食足りた後の生活に潤いを与えるもの、といえる。震災復興だ、生活保護だと、経済情勢が順調でなく、行政の出費もかさむ中で、国民のうち何パーセントの人が保護してほしいと思っているかも「微妙な」文楽に、これまでのようにお金を出し続けて、国民の多くが納得するのか、なんともいえない面がある。

 

それこそ、先般関西地方在住の芸能人の親に対して盛り上がった、生活保護に対する強烈な批判などを考えると、あんなつまんない文楽なんかに金をばらまくなんておかしいという批判が出てもおかしくはない。

 

いや、確かに、昨年の文楽関係者の橋下市長会談のやりとりや、鶴澤燕三師のインタビューを読めば、駆け出しの技芸員が師匠に3食面倒を見てもらわないと生きていけない待遇であることは分かる。だが、広い意味で同じ「文化」に位置づけられる他分野、たとえば漫画家志望者や売れない芸人なんかも、本業での成功に向けて精進する中で、生計を立てるために相当苦しい(バイト漬けの)生活をしている。当然、行政の支援なんかない。すぐ、なぜ文楽が?になってしまうのだ。

 

ただ、この話をすると、厳しい稽古でバイトする時間が取れないから同じ議論はできない等の議論が出てくるが、それはまた後日することとして、今言いたいことは次のとおり。

 

文化も、単なる趣味ではなく、プロのパフォーマンスとして存在する以上は、ビジネス(生計の手段)として自立する努力は必要。その上で、どうしても自立できないが、保護すべきと認められる価値があるものだけ、税金を投入する。

 

これが大原則だろう。

 

すると当然、文楽の完全自立化は当面難しいとしても、少なくとも、世の中でもう少しウケ、客を増やすための文楽関係者の努力――特に内容(演じ方)の工夫――は足りているのか、という話になる。(字幕を付けるなどは、もちろんやったほうがよいが、小手先のことであり、ここでいいたいのはもっと本質的な話)

 

―と、前置きが長くなったが、この記事のタイトルにもなっているが、住大夫師は、過去の様々な対談(たとえば2011年1月の日経新聞掲載)で、文楽について

 

口語調

宇宙船や宇宙人が出てくる話

 

などを容認する発言をしている。どこまで本音なのか何とも言えないが、個人的には、数年前に演じられたシェークスピア原作のテンペスト(天変斯止嵐后晴)は面白かったので、口語は当然として、若い人に入ってもらうためSF(アニメ・漫画)系での作品化は、文楽の入り口(ハードル)を下げる意味で十分ありだと考えている。

 

ちょっと長くなったので、続きは暴論2-2で。