知り合いに教えられて、先日、「相模人形芝居 下中座」という一座の人形浄瑠璃の公演を見に行った(神奈川県川崎市内)。
その際、座長の解説によると、戦前には、東京にも(大阪の本家文楽とは別の)人形浄瑠璃が存在していたようで、戦後東京では廃れるも、当時人形遣いだった人が何人も小田原あたりに住んでいたことから、当地で伝承されて今に至っているとのこと。
ご存知の方も多いと思うが、こうした、土地土地の民俗芸能として、人形浄瑠璃が伝承されている例は、全国各地にある。
この下中座の技芸員(人形遣い、裏方)の方々も、おそらくは本業を持っていて、人形遣いの稽古や公演は休みの日にやっているのだろう。なお、あくまで人形芝居の一座なので、大夫と三味線部門はもっておらず、公演の際は、それらの専門家の手を借りる(女義太夫、女流三味線が多い)ようだ。
見た感想としては、まず、技量を比べてしまうと、もちろんプロである本家の文楽にかなうまいが、それはそれ。そもそも文楽の人形と異なる特徴もあるようなので、違った楽しみ方もできると感じた。
なにより、本家の文楽が見習うべきは、サービス精神と、技芸員に対する敷居の低さではないだろうか。それが、タイトルにあるAKB48の話につながってくる。
というのも、私が見た下中座の公演は、全体の半分くらいが、人形の作りや遣い方の解説だった。髪結いの後、演出上で髪がはだけるところの実演をしてみたり、首の内部構造がわかる模型を観客席に回覧してくれたりと、手厚いのだ。また、人形に触るのはもちろん、技芸員とも話しやすい。
これが、本家文楽の公演だとどうだろう。確かに年何回かの文楽鑑賞教室・地方公演では人形遣いの解説もある。ただ、体験は、通常子どもが対象で、2~3人だ。しかも、遣い方がうまくいかなくて、笑いをとるイベントと化しているのが実態だ。あのムードでは大人が触りたくても土台無理である。
また、公演によっては楽屋や舞台裏見学がくっついているケースもあるが、私は抽選に当たったことがない。こうなると、技芸員に知り合いがいなければ楽屋に入るなんて無理である。そもそも楽屋なんて、ピリピリしたムードがあると素人は想像するから、よほどの贔屓という自負がなければ、普通の神経の持ち主には入る勇気はない。それだけ、厳格なプロの世界ということの反面、文楽はハードルが高いのである。
これを、会いに行けるアイドル、(CDを買う必要はあっても)気軽に握手してもらえるアイドルである(もはや過去形か?)AKB48のように敷居を下げられれば、一石を投じることになるのではないか。
長くなったので、続きは別ページで。