当サイトのスタンス

まず誤解のないように申し上げておくが、当サイト及び管理人のスタンスは、アンチ文楽では決してない。否、国立文楽劇場友の会会員歴5年目(2013年現在)の、れっきとした文楽ファンである。

 

だが、文楽は、甘やかされてもいけない(公的支援が当然と考えてはいけない)と思っているし、必要ならば変化も辞さない、というのが基本姿勢である。

 

先般、大阪市の補助金削減問題が世間で話題となった時、ネット上の文楽ファンの反応は、ほとんどが橋下非難であった。

 

橋下市長は伝統文化を理解しない」と。

 

でも、客観的に見て、文楽は現代の大阪市民(広く見て、関西圏の住民)の多くから、見放されている。残念だが。

(付言しておくが、私は首都圏住民だが、わざわざ年四回大阪公演を見に行っている。宿泊施設や飲食店で、関西滞在の理由を話した時に、「文楽」といってピンとくる人にあったことはまるでない)

 

そんななか、大阪市が公費を投入し続けていいのか?しかも、文楽の地方公演(文楽劇場の外へ出張っていく)のためにだ。

 

ある意味、その点は行政の長としては当然の疑問であり、検討していく必要があったと私は理解する。実際には、補助金はついたのだし、とりあえず橋下市長は大人の対応をした。というか、問題提起・直談判するのが目的だったとすれば、作戦通りだったのかもしれない。

 

とはいえ、私は文楽ファンでありながら、先般の橋下問題で露呈された、多くの文楽ファンが示した態度に、かなり嫌悪感を持ってしまった。

 

 一言でいえば、無批判に「伝統文化は守られるべきだ」ということを前提に、「文化を理解しない奴が悪い」という上から目線なのである。

 しかし、文楽は「庶民の芸能」ともいわれる。庶民の芸能(文化)なら、時とともに変化するし、廃れることもあるのではないか?庶民に支えられて継続するなら意味があるが、庶民に見放されつつあるのに、強制徴収される税金を原資とする公費で命脈を保つようになったら、もはや庶民の芸能は返上だ(絶滅危惧種の保護に近い)。そこまでする意味があるのか、という疑問は呈されてもよいのでは、と思うのだ。

 

もちろん、私の考えとしては、文楽には存続してほしい。でも、多額の公費を投入してまで、となるのは、文楽なんてどうでもいいと思っている人たちに対して申し訳ない。

むしろ、そこまでしなくても文楽が存続する方法を考えなければいけないと思っている。

 

それが、これから提起していく暴論なのである。

 

このサイトは、アンチ文楽の人には興味のないものである。一方、伝統に固執する文楽ファンにとっても、暴論に聞こえることだろう。だが、「文楽も変わらなきゃ!」という意識を持つ、こころある文楽ファン及び文楽興行関係者には、耳を傾けてもらえると信じている。

 

※補助金は、一種の既得権なので、廃止されそうになって困る側だけが騒ぐのが普通。だから、文楽ファンが騒ぐのは理解できる。だが、廃止されてはっきりと得をする人はいないので、よほどのことがな い限り、逆の側は騒がないのである。文楽ファン側だけが騒いだからと言って、世の中が総じて、文楽を守るべきもの、と考えているわけではない。そこは謙虚に、誤解なく捉えなければいけない。一文楽ファンだからこそ、そう考えるのである。