暴論14-2 嶋太夫引退追記

このサイトも、何年か続けているおかげか、たまに感想をいただくことがある。引退後の師匠の動静について、先日愛媛県在住のKさんから情報をお寄せいただいた。

 

なんでも、地元愛媛で講演(+義太夫ミニ公演)があり、その中で「どうして引退のご判断をなさったのか」という質問が出たとのこと。

昨年の記者会見では、周りじゅう敵だらけと思っていたのか、質問をはぐらかして大人の対応をしていたようだったが、この講演時はずばりこう答えたそうだ。


「この仕事には定年はないので、いつまでやってもいいのですが、公演の際に充てられたものが、自分の思うような役ではなくて、軽いものを充てられた。これはもうあんたは辞めたらどうか、と言われたような気がして、それで引退の決断をしました」

 

この発言内容が事実なら、なんとも言葉が出ない。

 

人間国宝になる以前から、切場語りを長く続けてきており、演目・場面の格との釣り合いは、文楽鑑賞歴の長い人ならすぐわかるはず。そんななか、端役を回すことなどできやしない。

 

でも、実際に軽いものを充てられた(正確には、充てられそうになった、だと思うが)とは、実際何の役だったのだろうか。

 

ネットで見てると2015年夏?の内子座だとかいろいろ書いてあるが、本当のところはわからない。

 

もっとも、嶋太夫引退は突然の発表だったため、嶋太夫に花を持たせるべく、平成28年1月大阪、2月東京公演演目が急遽組み直しになったとさえ言われている。一方で引退しなくても三味線との不和で出番がなかったいう噂もたっていた。

 

以上を総合すると、「無理やり組めそうな三味線(若手)だと、切場っちゅうわけにはいかんよ」という演目を提示されて怒っちゃったということなのかもしれない。

 

となると、返す返すも引退は残念だ。

 

それならば、嶋太夫師匠には今後、文楽劇場を本拠とする文楽座とは異なる地域伝統芸能の人形浄瑠璃劇団に活躍の場を移して、浄瑠璃を続けてもらえないものだろうか。

 

出戻りの嶋さん、再退座後の第3の文楽人生は、地方郷土芸能に生きる!

 

みたいな感じで。(注:第1期は当初、第2期が出戻り後、第3期が文楽座引退後)